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エンピツ(赤) 【−奮闘記その1−】 エンピツ(赤)


− 会津坂下町文化祭新そばコーナー出展 (99.11.3) −

3日の文化の日は朝から快晴の秋晴れでした。天気の良さに誘われたのか、道路(国道49号線) が非常に混みました。文化祭では、新そば販売用のテントを用意し、飲食及びお土産の販売を行い ました。

今年は150升ほど用意しました。晴れたせいか人出が多く、10時からの営業にもかかわらず、 昼までには売り切れ状態だったようです。
我々蕎麦打ち部隊はひたすら作業場で打っていたので、イベント会場の状況はよく解りませんで したが、非常に忙しかったようです。

結局午後の1時過ぎまで昼食も摂らずにがんばり、他の蕎麦打ちメンバーと会場に行きましたが、 車の駐車スペースも無いほどの混雑で、兄と私だけそのまま帰りました。
結局、昼メシは食べられなかった。(トホホ) 顔(その3)

まずは、今年も盛況でした。
顔(その1)
         大変よくできました         


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エンピツ(黄) 【−奮闘記その2−】 エンピツ(黄)


− さあ本番!会津坂下町の「新そばまつり」開催(99/11/23) −

今年はいい天気に恵まれ、絶好の「新蕎麦まつり」でした。
昨年はみぞれまじりの寒い一日で客足に影響し、せっかくの新そばが大量に残ってしまったので、 天気を心配しましたが、まずは一安心。 顔(その1)

準備は前日から行う為、22日は予定通り午後半休していざ出陣。
勇んで師匠宅へ乗り込んだら、師匠は不在で、兄と師匠の奥さんで蕎麦打ち作業をしていた。 私も急いで参加し、しばらくしてから一言言われた。
「実は今打っている蕎麦は、まつり用ではないよ。」
個人に注文依頼された分(10升)である事が判明。(ガックリ) 顔(その8)

注文分の蕎麦打ちが終わって一休みしている所へ、ようやく師匠がご帰還。
結局、新蕎麦まつり用の蕎麦打ちを始めたのが午後4時になってしまった。
今回、「高寺そば研究会」のメンバーにそれぞれ割り当てされており、我々の割り当て分は 100升あまり。
今日中に出来上がるのか全員不安な顔になる。 顔(その4) 途中、助っ人が加わり計4名で必死になって作業した。
何とか夕食を挟んで、午後10時前には完了。全部で110升 ほどになりました。全員へとへとになってしまった。(酒も入っていたしね) 顔(その2)

次の日は8時に集合し、会場へ。蕎麦打ち部隊は全部で10人程度。会場のスタッフとなると 100人以上は居たでしょうね。
前日の疲れがしっかり残っていて、ペースが上がりませんでしたが、当日のお土産分を全員で 賑やかに打っておりました。天気が良かったおかげで、客足はなかなか好調。お土産がやっぱり、 直ぐに売れてしまって、品切れ状態が続いたようです。
販売担当の人が入れ替わりやって来て催促していました。 顔(その5)
会場では、午前と午後の部になっており、歌謡ショウ、地元の太鼓演奏、 他に蕎麦打ちの実演などが行われました。

終わった後、毎回蕎麦打ちメンバーの慰労会が地元の割烹旅館 で行われており、風呂に浸かって疲れを取ってから宴会となります。 トックリ
しかし、今年は残念ながら辞退して帰りました。(車なのでいつも飲めないのです) 顔(その3)

今回も全部(各自前日分も合わせて)で400升弱ぐらいでしょうか。
今年は天候に恵まれ、大成功でした。
顔(その6)


大変よくできました(小)          大変よくできました(大)          大変よくできました(小)


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エンピツ(緑) 【−奮闘記その3−】 エンピツ(緑)


− 年内最後の大仕事!注文用「年越しそば」の蕎麦打ち(99/12/30〜31) −

「年越し蕎麦」の蕎麦打ち作業も師匠宅(母親の実家)にて行います。
農家なので、米の乾燥機が設置されている大きな作業小屋があり、その棟内で行って います。蕎麦は師匠が自ら収穫、製粉したものを使用しています。

例年であれば、29日の午後から蕎麦打ち作業に参加していますが、 今年は、仕事の都合で30日より参加。親戚の蕎麦茶屋に預けてあった 蕎麦打ち道具(板、のし棒、こね鉢)を持参。他の手伝いの人たちは既に 到着し、作業を行っておりました。

今回手伝いに来ている人たちは、この「年越しそば」の蕎麦打ち作業のみ に参加している人がほとんどで、今年も1年振りに顔を合わせる。 顔(その1)
毎年総勢10人前後集まります。2日間の付き合いですが、いっしょに 食事したり、酒を飲んだりしていると自然に和んで、作業はきついけど 結構賑やかに楽しんでいます。

数年前から、宅急便が年末年始も営業するようになった為、30日の日に 宅配用が集中しています。梱包作業や荷物を預けに行ったりと手間がかかり、 非常に忙しくなってきています。

今年「そば祭り」の時に傷めていた右手(軽い腱鞘炎?)を また今回も傷めて、 二日目の31日はちょっと辛かったです。 今までも疲労による軽い痛みは出ていましたが、数日過ぎるといつも治っていた のです。今年は「そば祭り」の後からずっと少し脹れがあり、違和感が取れま せんでした。(歳のせいかも) 顔(その5)
最近、運動不足で筋力が落ちていた事はたしかです。(反省!)

31日は午後3時過ぎには、完了し、日が明るいうちに帰宅できました。 今年の「年越しそば」出来高も全体で約370〜380升あまりで、例年通りぐらい の量でした。

29日の分は、ほとんど宅配用。  (70升前後)
30日の分は、宅配用と持ち帰り分。(150〜180升
31日の分は、ほとんど持ち帰り分。(130升前後)

例年だと、大晦日の夜は疲れて年越しをしないうちに寝ていましたが、今年はミレニアム。 「Y2K」も気になり、疲れているからだに鞭打って、久しぶりに年越しをした。 元旦は、もちろん全身筋肉痛で寝正月でした。 顔(その7) ・・・・おわり。


大変よくできました(大)      大変よくできました(小)      大変よくできました(大)      大変よくできました(小)      大変よくできました(大)


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エンピツ(青) 【−奮闘記その4−】 エンピツ(青)


− 蔵太鼓の新年会(忘年会に続きそば会を開催!(2000/01/29) −

29日は、このところ続いていた寒さも一休み。朝からいい天気になりました。
蕎麦打ちは、午後3時ごろに作業を始めた。今回の参加人数は11名だと連絡が あり、蔵太鼓メンバーはそば好きが多いため、3升分(通常30人前) を用意する事に。他に参加メンバーの一人に頼まれた注文分1升と その他に贈答用>5合。合計4.5升。 しかし、私が分量を間違えて実際に打った蕎麦は4升のみ。(後で問題になる)
さらに、新年会場(喜多方)へ行くと今回出席出来なかった蔵太鼓会長と他1名のメンバーより、 御祝儀を頂いたので、この両名にそばをお土産にする事になって、5合分が、さらに減ってしまった。 顔(その2)


【 −さてここで計算問題です− 】

     Q:それでは、この時点で食べる分の蕎麦は、どのくらいになったでしょう?

     A:答えはこちらです。 顔(その1)


本文に戻ります。
しかし、この時点ではまだ気づいていないのです。宴会場はいつも利用している割烹料理屋さんで、 蕎麦を茹でてもらっている。いよいよ新年会が始まり、蕎麦が 大皿3枚に大盛りで出てくると、一気にたいらげてしまう。 しばらくあって、また同じ量の蕎麦が出てくると、同じようにすぐに無くなった。 3回目が出てきた時に、取りあえずストップしてもらった。 その後しばらく飲み食いや雑談をしていましたが、誰かがもう少し食べたいと言い出した。 店の人に聞いたら、まだ有るから大丈夫だと言われたので、出してもらう事に。最後は 大皿2枚分で用意した分が完了。それもペロッと食べてしまった。 改めてびっくり。本当に良く食べる人たちだと感心。 顔(その4)

18:30に始まった宴会は、盛り上って22:00過ぎまでに及んでしまったのです。 さて、問題はここからでした。別に注文(1升)していたメンバーが帰る段になって 蕎麦を渡そうと店のカウンターに置いたはずのそばが見当たらない。店の人に聞いたら なんと、全部茹でてしまったとの事。ショックでした顔(その7) 注文した本人はガッカリして帰って行きました。(代金はしっかり貰っていたのですが) そこで、初めて分量を間違えていた事に気づいたのです。面目ない。m(_ _)m 次の日の昼過ぎ、新たに打った蕎麦を持って行きました。(メデタシ、メデタシ)

結局、今回食べた量は個別注文の1升分を合わせ3升 でした。メンバーの中にはまだ食べたかったと言っていたのです。 顔(その5) いや〜たいしたもんです。しかし今回も大好評でしたので、安心しました。 何と、また来月やってほしいと言われてしまった。もうひと踏ん張りかな。


  大変よくできました(小)今度は量を間違えないように!  


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