ガリレオの月面スケッチ中央のクレーター

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 ガリレオ著『星界の報告』の新訳が出ていたことを最近知りました。
2017年発行の講談社学術文庫版です。不勉強でした。 岩波文庫版は昔読んだ記憶はあるのですが,いつだったかは記憶不鮮明です。 ガリレオの月表面スケッチは,北半球の晴れの海,雨の海,コーカサス山脈あたりはなんとなくわかるのですが, 中央やや南の大きなクレーターが現在の月面写真と一致しない記憶だけが残っていました。

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早速講談社の新版を読んでみました。

5節からなる「訳者解説」が充実しています。
 1.望遠鏡に出会うまで
 2.望遠鏡との出会い
 3.望遠鏡による天体観測
 4.『星界の報告』
 5.『星界の報告』刊行以後
の5節です。

以下は「訳者解説」からの私の新たな興味に基づく偏見的メモです。
1564年2月15日 イタリア中部フィレンツェ近郊ピサで誕生
1581年 ピサ大学入学 医学を学ぶための入学だが学位をとらず退学
1589年 ピサ大学数学教授
1592年 パドヴァ大学数学教授(以下パドヴァ大学時代の活動)
    数学者というより数理工学者
    自宅工房で職人も雇って真鍮製計算尺を作製し販売
    そのマニュアルが最初の出物版
    学者としては無名
    物体の落下運動に関する実験研究着手
    コペルニクスの惑星理論支持
1608年 オランダでメガネ職人が望遠鏡特許申請(対物凸,接眼凹レンズ)
1609年7月 ガリレオが望遠鏡製作,倍率3倍(おそらく当時の市販レンズ使用)
(1609年7月 トマス・ハリオット(イギリス),望遠鏡による天体観測,6倍望遠鏡で月面スケッチ)
1609年8月中旬 倍率9倍の望遠鏡製作(特別レンズ使用)
1609年11月末 倍率20倍の望遠鏡完成(当時としては驚異的,半年間は彼以外製作不能)
       望遠鏡による月面天体観測開始
1610年1月初旬 恒星天体観測開始,
       対物レンズの外側を覆うと画像が鮮明になること発見。
       収差の影響。収差理論は当時不明。→ 恒星観測が可能になる
       → 木星の衛星発見
1610年3月中旬 『星界の報告』刊行,先取権確保のため刊行を急ぐ。60項・550部。
        当時としては不可能に近い短時間での出版。

*ガリレオだけが優れた望遠鏡を製作できた理由
 「屈折理論」に基づいて製作したと記述しているが,具体的内容記述なし。
 当時は凹レンズの働きが不明で,倍率公式も知られていない。
 真の理由は,彼に高性能レンズを製作する技術があったこと。
 自宅工房で職人に製作させる。使用レンズは片面平面の平凸・平凹レンズ。
 卓越したレンズ鑑定家。多くのレンズを入手し,選別。

*ガリレオ式望遠鏡は視野が狭く,彼の望遠鏡では月面全体をカバーできない。
*ケプラー式望遠鏡による天体観測は1630年代から。(ガリレオ以後)


ガリレオの月面スケッチ中央のクレーターは?

 科学史の専門家はこの件に関してどのような見解なのか知りたかったのですが, 「訳者解説」にもこの件に関しては記述がありません。
せっかく新訳版に目を通したので, 「訳者解説」に即して考えを巡らしてみようと思います。

「・・・ 月の表面の記述は『星界の報告』における議論の骨子とも言うべきもので, この時点で月表面についてのガリレオの考えは固まっていたことがわかる。 当時の伝統的な宇宙観によれば,天上界は完全で不変な世界であり, 月も天体の一つとして,その表面は完全である。すなわち,起伏などもなく, まったく滑らかな球体でなければならなかった。 それに対して,ガリレオは望遠鏡による観測結果から, 月表面も地表面と同じように起伏があって,山や谷に満ちている,と主張する。 その根拠として,明暗部を分ける境界線がぎざぎざしていること, 暗い部分にさまざまな輝く点が見られること,明るい部分に黒い斑点が多くあることなどを指摘している。・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ガリレオは,望遠鏡によって得られた情報から月表面の姿を描くに当たって,地表からの類推によっていた。望遠鏡が提供してくれたのは二次元の模様だったが,そこからガリレオは起伏という三次元の形状に関する主張を行ったのであり,経験的データに対して一つの解釈を施したのである。その解釈に当たって,ガリレオは地上の現象を手掛かりにしていた。これは我々には違和感のないことだが,当時としては異例のことだったと考えられる。当時の支配的な宇宙論によれば,天上界と地上界はまったく異なる世界であり,したがって地上界の現象からの類推によって天上界の現象を解釈することは説得力をまったく持たなかったはずである。・・・・・・・」
(「訳者解説」より)

 まず,ガリレオの望遠鏡で本当にここまで見えたのか疑問です。 視野が狭く,収差もあり,今の我々には明暗の模様にしか見えないのではないかという気もします。 ガリレオの鋭い観察眼による宇宙観解釈が画像上に無意識にプラスされたスケッチなのではないでしょうか。 スケッチ中央付近のクレーターついては,現在の月面写真ではこの位置にこの大きさのクレーターは存在しません。 しかし現在の我々からみてクレーターであることははっきり認識できるスケッチです。 見えない姿を想像力で補いながら目を凝らして必死に見つめたガリレオならではの表現だったと思います。 ガリレオの望遠鏡は視野が狭く,月全体を一つの視野に収めることはできず,部分ごとにスケッチしたはずです。 その過程で,彼の月の宇宙観解釈が最も鮮明に表現しやすい明暗部分を分ける境界線上に, 一番表現したいものとして来てしまったとも考えられます。 全体の位置関係を多少犠牲にしても,彼の宇宙観を表現したいという思いが出たのでしょうか。 このクレーター自体はきっと他の部分の本当のスケッチであると思います。

 以上,『星界の報告』新訳版を読んでの「ガリレオの月面スケッチ中央のクレーターは?」に関する私の思いですが, 皆さんはどうお考えでしょうか。最新の科学史的研究等の情報もご存知でしたらお教え下さい。
特に,新天研,新理科教研の皆さん,よろしくお願いします。

月面図(ガリレオのスケッチとは東西南北が逆)
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(新版 四季の天体観測,昭和48年11月20日,中野 繁,誠文堂新光社 より)